月下丸との出羽の国にて何の不安もない生活。
静かで穏やかな日々の中で、ある出来事が起きた。
「月下丸…っ。困ります」
「槐様?」
「料理も掃除も洗濯も全て終わらせてしまうなんて……っ」
朝、目が覚めた時にはすでに食事の支度を済ませてあり……。
洗濯を行おうとすれば取り上げられ、掃除も朝方に済ませてあるから殆ど汚れていなかった。
「これでは私のすることが何もなくなってしまいますっ」
「そんなつもりは……っ。少しでも槐様のご負担が減らせればと……」
「その気持ちは嬉しいですけど……ここまでされては私はすることがなくなってしまいますっ」
怒った顔を見せれば、途端に月下丸が頭を下げてくる。
「も……申し訳ありませんっ。決して槐様を不快にさせるつもりは……」
「それにずっと月下丸は働き過ぎですよっ。もう護衛役ではないのですし……っ」
これでは以前と何ら変わりがない。それも少し不満だった。
「申し訳ありません…」
「いいえ、許しませんっ」
「え……っ」
槐の言葉に、月下丸はこの世の終わりのような顔をしていた。
その表情に槐もあることが浮かぶ。
「それなら……今から私のお願いを聞いてくれたら……許してあげます。聞いてくれないのなら、しばらく口を利きませんっ」
「!はいっ、何でもお申し付けくださいっ」
槐の願いならば何でも叶える。
その決意は確かなものだったが……内容を聞いた途端、月下丸は――。
「え、槐様っ!?さ、さすがにそれは……」
「ダメですっ。何でも――と月下丸は言ったじゃないですか」
「し……しかし」
「はい、観念してくださいっ。それともしばらく口を利かないほうがいいですか?」
「わ……わかりました」
色々と考え、どちらがマシかと思えばその願いを叶える他ない。
月下丸は観念して……槐の願いを叶えた。
「お、重くないですか?」
「大丈夫ですよっ」
「重かったらすぐに言ってくださいね。どきますから……」
「もう動いちゃダメですよっ」
「……っ」
槐に言われて、月下丸はジッと動きを止める。
そうなれば……今度は変に意識してしまう。
その理由は自分の頭が槐の膝の上にあるからだ。
「どうして……俺の耳かきをしたいなど……」
「だってそうでもしないと……月下丸はすぐに働いてしまいますからっ」
「……」
槐の願い――それは月下丸の耳かきをしたい というものだった。
もちろん、その願いに月下丸はとんでもないと断ろうとしたが……槐に口を利いてもらえなくなることを思うと、その願いを受け入れるしかなかった。
月下丸は恥ずかしさとそれと同時に意識もしてしまい……自分の動揺を抑えるのに必死だ。
そんな苦労も知らず、槐は笑っている。
「月下丸は働き過ぎなんですっ。今は一緒に暮らしてるのだし……もう少し私にも頼ってください」
「はい……」
「それに……」
「槐様?」
「もっと二人で過ごしたいんです……。一緒に料理だってしたいし……掃除だって出来ます。月下丸が一人で何でもやってしまうと……その間私は一人で待ってることになりますから」
「……っ」
どうやら思い違いをしていたらしい。
槐の負担を減らそうと思っていた行動は、結果的には槐に寂しい想いもさせていたようだ。
「申し訳ありません……。今度は一緒にやりましょう」
「はいっ」
元気のよい槐の返事に月下丸はホッとした。
怒らせるよりも笑顔のほうがいい――そう思っていたから。
「あの……そろそろ耳かきを……終わりにしていただいてもよろしいですか?」
「まだダメですっ。こんな風に耳かきをするのも楽しいですしっ」
「はい……」
槐にそう言われてしまっては……月下丸はもう我慢するしかない。
どんなに月下丸が恥ずかしくても……槐は嬉しそうにしている。
槐の膝の温もりと心地よい耳かきに……月下丸はいつしか目を閉じていた。